心理学徒のお話

心理学生が考えをつらつらと書くだけです。たまに用語解説をするかもしれません。

試験前はなぜ部屋を片付けたくなるのか -セルフ・ハンディキャッピング-

 

試験前に一生懸命に勉強しているとき、ふとなんとなく部屋を片付けたくなったことはありませんか?

実際に片付けた経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

思うように試験勉強が進まないときほど不思議と片付けをしたくなるもので、私も何度も勉強を中断して片付けてしまい、散々な試験結果になったことがあります。

 

このような現象は心理学においてはセルフ・ハンディキャッピングと呼ばれるものです。

 

セルフ・ハンディキャッピングとはその名の通り、自分で自分にハンディキャップを課すことです。

 

何故そんなことをするのか、それは自分の心を守るためです。

失敗をすればたいていの人は自信を失うものです。 しかしその失敗が自分のせいではないとしたら、どうでしょう。 自分が悪いわけではないなら失敗しても仕方ないですよね。

「失敗の原因は自分自身のやる気や能力によるものではなかった」

これが重要なのです。 これなら自分が原因ではないので自尊心を守ることができます。

 

つまり自分の失敗体験の原因を外的要因に求めて自尊心を守るということです。

 

今回の話ですと、試験勉強中ですから現在の状態から試験の結果はある程度、予測がつきます。

うまくいっていないときには良い結果にはならないことも予測できます。 すなわち失敗が予測できる状態なのです。

予測できたのならばその失敗を回避することが1番ではありますが、できないなら失敗に向けて心の準備をしなくてはなりません。

この準備が 片付け です。

 

「試験前に部屋を片付けてたんだ」

「そっか、それなら結果が悪くても仕方ないよね」

「なるほど、努力が足りないわけでも頭が悪いわけでもなかったんだね!」

 

とまあ、こういった具合です。

実際に行動に移さなくてもテスト前に友人に

「ぜんっぜんテスト勉強してないわー」

などと話すだけのケースでもセルフ・ハンディキャッピングと言えるでしょう。

自分の努力不足を否定はできませんが、自分の能力が低いということを否定できるからです。

 

心を守る手段とはいえ、そもそもセルフ・ハンディキャッピングをしなければならないような状況に追い込まれないように日々を過ごしたいところではありますが……

哲学好きの人


哲学というと変わった人が好んでるだとか、小難しいだとかそんなイメージがあるのではないでしょうか。

 

哲学的な思想とは何でしょう。

 

例えば

 

・自分が見てる「赤」と他人の見てる「赤」は全く違うのではないか
・実はこの世界に生きているのは自分だけで見ているものは全て幻覚なのではないか
・いやいや、そもそもこの世界は長い夢なのではないか

 

こういった答えのない考えが哲学的な思想であるとわたしは考えています。
確認のしようがなく、また普通に生活する上ではどうでもいいことです。

 

でも、ほとんどの人が小さい頃に1度は考えたことのあるものではないでしょうか? ひとりぼっちのときに「この世界には自分しかいないのでは?」と不安になった経験はないですか?

 

誰もが1度は考えることです。 そして成長とともに考えなくなることです。
そんな役に立たないことを考える必要はないから、そんなことを言うのは変な子だから、そうやって哲学的な思考は置いていくのです。

 

そんなものを追求するのが哲学です。 ですから哲学をする人は子供のころに思想を置いてこないまま成長した、たいへん純粋な人なのでしょう。